【感想レビュ―】SF映画「ブレードランナー」は生命を問いかけた傑作!


ブレードランナー ファイナル・カット 製作25周年記念エディション [Blu-ray]

「ブレードランナー」は1982年に公開されたSF映画。「エイリアン」でブレイクしたリドリー・スコット監督がその次に監督した作品です。当時実写化不可能と言われていたフィリップ・K・ディック原作の『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の映画化。
冒頭から始まる圧巻の映像美は必見。その哲学的なテーマの深さとも相まって、今なおSF映画の金字塔としてカルト的な人気を誇っています。

スポンサーリンク

「ブレードランナー」のスタッフ・キャスト

監督
リドリー・スコット

脚本
ハンプトン・ファンチャー
デヴィッド・ピープルズ

原作
フィリップ・K・ディック
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』

出演者
ハリソン・フォード
ルトガー・ハウアー
ショーン・ヤング


「ブレードランナー」のあらすじ

2019年、地球は環境破壊によって居住が困難になり、人類は宇宙への移住が一般的になっていた。
地球では都心部に酸性雨の降られながら僅かばかりの人々が暮らしてるような状態。
そんな地球や宇宙で人間の代わりに危険な労働に従事されられていたのが「レプリカント」と呼ばれる人造人間たち。遺伝子工学の発展により誕生した彼らだったが、彼らにも製造から数年経つと人間同様の感情が芽生え、主人たる人間に反旗を翻す事件が発生するようになる。

反乱を防止するために、新型のレプリカント「ネクサス6型」には4年という寿命が与えられたが、彼らの中にも脱走し人間社会に紛れ込もうとするレプリカントが後を絶たない。
そんなレプリカントを見つけ出し、処分する任務に就いているのが警察の特別捜査官、通称「ブレードランナー」と呼ばれる人々。

そんなある日、デッカードのもとに、レプリカントの一団が脱走し、地球に潜伏しているという情報が入る。
「殺し屋」としての仕事に疲れ果て、ブレードランナーを退職していたデッカードだったが、捜査のため強制的にブレードランナーに復職。

脱走したレプリカントたち(ロイ・バッティ、リオン、ゾーラ、プリス)を見つけるため、レプリカント開発者であるタイレル博士のもとへ向かう。

そこで出会った美しい秘書、レイチェル。デッカードは彼女もまたレプリカントであることを見抜きつつも、彼女に惹かれていく。



感想・レビュー

SF映画の金字塔

1982年に公開されたSF映画の金字塔です。公開当時の評価は不振に終わっていますが、その後のサイバーパンクやディストピアなどのSFジャンルの先駆的な作品となり、今や屈指の名作映画との評価が一般的な今作。
しかしながら現在のスタイリッシュでテンポに富んだ映画に慣れている人から見ると正直退屈に感じられる人も少なくないかもしれません。

それまでのイメージを覆す「近未来」

ただ、冒頭の壮大な街並みのシーンの美しさは必見。
それまでの近未来のイメージと言えば、「2001年宇宙の旅」や「TRON」などに清潔でクリーンなイメージで描かれることが多く、その無機質な中で描かれるAIの反乱や人間同士のいさかいが主でしたが、この作品では未来的でありながら汚く、酸性雨の降り注ぐ退廃的な世界観のビジュアルは当時としては非常に斬新で、「サイバーパンクの先駆的作品」ともとられ、今日に至るまで多くのフォロワーを生んでいます。

また日本の強い影響を感じさせる街並みや、意味不明な日本語のやり取りなど様々な小さな「?」が映画好きの間では必ず取り沙汰されるポイントでもあります。
(有名なのが「二つで十分ですよ!」のシーン。なにが二つで十分なのかは一部で議論が生まれたほど)

説明しすぎないがために、この映画は「語る」楽しみをまた観る人に与えたとも言えます。

「心」とは何か?人間とは何か?

「ブレードランナー」の魅力は単純な勧善懲悪に収まらない、生命に対する問いかけ。

日本における「ブレードランナー」はその数年前に公開された「スター・ウォーズ」のような爽快なアクション映画を想像させる宣伝で、それと映画そのもののギャップもあり、興行成績は振るわないものとなってしまいましたが、その哲学的なテーマの深さはそれまでのSF映画とは一線を画すものでした。

リドリー・スコットは本作の前の監督作「エイリアン」でAI(人工知能)を悪として描きました。(マザー、アッシュなど)

今作では人工知能にさらに強く足を踏み入れ、私たちにこう問いかけています。

「「心」とは何か? レプリカントと人間の間に、どんな違いがあるというのか?」

「殺す/生き残る」ではなく「死ぬ/生きる」そんな生死の現実を描いたラストはあまりに詩的。

お前たち人間には信じられない光景を俺は見てきた
オリオン座の肩の近くで炎を上げる戦闘艦
暗黒に沈むタンホイザーゲートのそばで瞬くCビーム
そんな記憶もみな、時とともに消えてしまう
雨の中の涙のように
俺も死ぬときがきた

ラストのレプリカント「バッティ」のあまりに詩的な独白(※)です。
微笑みながらこのセリフを言うバッティにあるのは抗い続けてきた運命への諦めでしょう。

そしてその瞬間戸惑いの表情を見せるデッカードの胸にあるのは正しく「レプリカントの愛情や崇高さと人間の間に、一体どんな違いがあるというのか?」という問い。

ラストシーン、レイチェルを連れて逃避行へ向かうデッカード。それはレプリカントも人間もどちらも心を持った存在としてデッカードが扱っているからにほかならないと思います。

※実は「バッティ」を演じたルドガー・ハウワーの即興なのだそう!凄い!

ブレードランナー豆知識

ブレードランナーというタイトル

ブレードランナーというタイトルはウィリアム・S・バロウズの小説から拝借されています。
もともとのタイトルは「デンジャラス・デイズ」でした。こちら本作のメイキング映像のタイトルに引き継がれています。

スポンサーリンク
スポンサーリンク